こんにちは、うめ太郎です。
昔のオーストラリアは誰でも永住権がとれると言っていいほど簡単でした。
今では信じられないような移民政策があったんですね。
オーストラリアに長く住んでいると、いろいろな人と出会うわけで、昔はいかに移民がしやすかった話を聞く機会があります。
その会話から当時の移民法を知ることも。
今回は昔から今にかけて移民法がどのように変わっていったのかについて説明していくことで、これから永住する人に移民の厳しさを感じ取ってもらえたらと思います。
- 永住するには移住するしかない
- 1974年までは空港に着いたら移民できた時代
- 1996年以降はお仕事経験を重視し始める
- 2010年頃までは大卒だけで永住できた
- 2012年頃から能力貢献主義が導入される
- 2015年頃まで永住権のハードルが本格的に上がる
- 2015年以降は永住権への道がさらに険しく
- 今後は地方へ
- 永住権は情報が生命線
永住するには移住するしかない
結論から先に書くと、オーストラリアが移民(永住権が欲しい人)に求めることは、お金の消費と納税です。経済の強化に使っているわけです。
ボクは2段階移住と呼びますが、学生や就労ビザを経由して永住権を狙うのが王道となりそうですね。
いわゆる、オーストラリアにお金を使ってくれる人や超が付くくらいの田舎で労働力になる人達が永住しやすいメリットを享受できるわけです。
そういう法改正の流れになっているので日本で永住権を狙うのはかなりハイレベルな人材だけに限られてくると思います。
永住するならお金+プランが大事ですね。
1974年までは
空港に着いたら移民できた時代
移民するならこの時代が文字通り「誰でも」移民できた時代です。
オーストラリアの移民政策は人口の増加を焦点にした政策を取りました。
そのころの移住方法は、空港に着いて、入国カウンターで移民についてのパンフレットを受け取り、申請フォームに必要事項を記入すればビザの審査が始まる仕組み。
そもそもこの仕組みのことを「移民」システムと呼んでいたそうです。
しかも、移民をするために渡航すると、オーストラリア政府が飛行機チケットのほとんどを支払ってくれるほどの待遇。
お金も掛けずにめちゃくちゃ簡単に永住権が下りたのです。
そんな夢のようなシステムも1974年から1996年頃にかけて少しづつ難しくなっていきました。
外部リンク:Why is Australian PR becoming difficult to get these days?
1996年以降は
お仕事経験を重視し始める
ウチの社長は20年前にオーストラリアに移住しました。その頃は仕事が決まるだけで数年後に永住権が取れるほど簡単でした。
ウチの社長もボクと同じように就労ビザ(457ビザ)を取得しましたが、社長いわく15年前は誰でも永住できたそうです。
この時代はオーストラリアは発展途上国なので、とにかく人手不足。国に魅力がないので移民法も仕事があれば永住権を渡していたんですね。
オーストラリア政府が諸手を挙げて移民を受け入れていた時期です。
2010年頃までは
大卒だけで永住できた
2010年頃に永住権を取った人と話す機会がありました。
その頃はオーストラリアにある大学を卒業するだけで永住権が発行されたとのこと。
彼は学費が安いのでタスマニア大学を卒業したそうなので他の州の状況はわからないそうですが、少なくてもタスマニアではそうだったそうです。
今、タスマニアの大学を卒業したとしても「卒業ビザ→就職→永住権」の流れになるので当時は簡単に永住権が取れたことは確かですね。
ただ、この時代あたりから移民に経済的な貢献を要求してくるようになったとも考えられますね。
関連記事:タスマニア移住に参考になる生活やビザのこと【まずは数ヶ月移住がベスト】
当時のオーストラリア社会
彼はこれまでの10年間、オーストラリアを見てきたわけですが、その当時の生活スタイルってどういうものだったのかと質問すると、すべてのお店が5時に閉まっていたそう。
しかも土日はもちろん閉店。
パースについてはビルの数がめちゃくちゃ増えたそうです。
関連記事:パースで永住権を狙う。その理由は。
2012年頃から
能力貢献主義が導入される
この年から移民法が変わり、永住権を取るにはオーストラリアで不足している職業についている技能者に限定されるようになりました。
CSOLやSOLの職業リストに載っている職業だけが永住権の対象になったわけです。
ただ、移民の受け入れ上限に変化はなかったので差別などではなく、単純にオーストラリアの経済に貢献してくれる人を絞り込みたかったのだと思われます。
ちなみに、ボクがオーストラリア永住権を目指すために情報収集を初めたのもこの年代です。
英語力はまだ求められなかった
この時代までは就労ビザや永住権の申請に必要な英語力はそれほどもとめられませんでした。
ポイント制永住権もIELTSの5あればポイントが付いていたくらいです。
ちなみにIELTSのスコア5というのはオーストラリアに1年住んでいれば無勉強でも達成できるくらいの簡単さです。
の話ですが、その頃は英語力がそれほど求められませんでした。IELTS6さえあれば永住権はほぼ取れる条件を満たします。
関連記事:英語力は日常生活でどれくらいまで伸びる?
2015年頃まで
永住権のハードルが本格的に上がる
英語力とポイントの引き上げ
2018年から独立技術のポイントスコアが50ポイントから65ポイントに法改正されることが決定されました。
この点数は、英語力にもよりますが多くの方がオーストラリア国外で8年以上の職務経験が求められます。
また年齢が32歳まで永住権も申請したいところ。
一番大きいのは英語力の証明で、IELTSの最低ラインが6になったことです。
就労ビザの条件が難しく
また、就労ビザの条件も難しくなりました。
就労ビザ(ビジネスビザ)の取得にはオーストラリアで需要がある職業だけに絞られました。
SOLやCSOLと呼ばれる職業リストに載っている職歴を持つ人しかビザを申請できません。
それに加えて就労ビザをサポートする際の最低労働賃金も上がって、52,000ドルに引き上げされました。
このボーダーラインの引き上げ背景には国内の景気が思わしくなく失業率が高くなっていることだとボクは考えています。
次のページ > オーストラリア移住に欠かせない5つの職業リストと全ての職業一覧
労働者が増えた
オーストラリアを豊かにするために積極的に移民を受け入れてきた結果、シドニーやメルボルンなどの大都市に移民が集中することに。
また移民初期の人たちはお世辞にも熟練労働社ではないので不況の際に失業者になりやすいデメリットも浮き彫りになりました。
オーストラリア全体的に見ると、不足している職業はあるにせよ一昔前と比べると労働者はかなり充実してきました。
そういうこともありポイントを上げたり、英語力のハードルを高めたりしてよりレベルの高い人がオーストラリアでビザを持てるようにしているのだと思います。
2015年以降は
永住権への道がさらに険しく
これまでの移民局が改正してきた永住権のハードルの上げ方を見ていくと、いかにオーストラリアでお金を使ってくれるのか(経済的なメリット)と関係しています。
その傾向は2012年以降続いていています。これまでは就労ビザが取れればす年後に永住権を申請できるヌルヌルな条件でしたが、それ以降は就労ビザの中でも4年の有効期限があるタイプのビザでしか永住権が狙えなくなりました。
とりわけ就労ビザでも永住権につながらない場合もある(S457からS482に移行)など、オーストラリア政府としてもより移民希望者の質と経済への貢献度を重視する傾向に。
今後は地方へ
オーストラリア国外で永住権を狙うとすると、相当ハイレベルな人材に限られてくることは確実。
おそらく一般的なオーストラリア人以上の職務経験と彼らと同程度に話せる英語力が求められてくるでしょう。
いわゆる日本でもそれなりに稼いでいけるような人はオーストラリアでも永住できるわけです。
投資家や研究職の人、いわゆるシニアと言われる技能職の人などインテリ層は引き続き日本からでも永住の可能性は大いにある事は疑いの余地がありません。
ではそうでない、スキルゼロな人たちはもオーストラリアに永住できないのか?と聞かれると実はそうでもない。
政府が都市開発を勧めている地域ではDAMAビザを使えばほとんど英語力+職歴が求められずに永住権が取れる仕組みもある。
そういった地域に住むほうが永住しやすいメリットがあります。
永住権は情報が生命線
これから永住権を狙うならそういった都市で狙っていくなど、しっかり移民法やビザの情報を調べて計画的に進めていく力が必要。
このあたりは移民に求められる能力の記事で詳しく説明していますが、何をするにおいても情報は生命線。
数ある地方の中からどこを選ぶのか、どの地域がビザが取りやすいのかなどの情報を常に集めることが必要です。
今回はこれまでオーストラリアの移民法がどのように変わっていったのかを分かりやすく伝えていきました。
ざっと読むだけでも、この数年の間に大きく移民法が変わり永住権が少しづつ取りにくくなっていることがわかりますが、オーストラリア政府が求める移民というのも見えてきたのではないでしょうか。
この記事をが永住計画の戦略に役立てて頂けるとうれしいです。
ありがとうございました。